-----活動報告書2 1.バリアフリー支援室のビジョンと本年度の総括  持続可能な開発目標 (SDGs)の策定をリードした国連開発計画(UNDP)の中心的理念であるディベロップメント(development)は、個人レベルだけでなく、社会レベルの発展も包括した概念である。アジアではじめてノーベル経済学賞を受賞した経済学者アマルティア・センと、哲学者・倫理学者のマーサ・ヌスバウムが展開してきた潜在能力アプローチ(capability approach)は、このディベロップメント概念に対して理論的支柱を与えてきた。潜在能力アプローチでは、収入や資源の量の平等でもなく、結果としての生活状況や幸福度の平等でもなく、「できること(doing)」や「なれること(being)」の選択機会の平等を、公正な社会の条件と考えた。とくにヌスバウムは、あらゆる属性の人々に対して、平等に保障されるべき具体的な選択機会のリストとして「生命」「身体的健康」「身体的保全」「感覚・想像力・思考」「感情」「実践理性」「連帯」「自然との共生」「遊び」「環境のコントロール」を挙げている。  誰一人取り残さず(No one will be left behind)、機会の平等が保障された公正で持続可能な社会を実現しようとする世界的な潮流は、障害分野においてもここ数年国内外で急速に進みつつある。2006年12月13日の第61回国連総会において採択された21世紀初の人権条約である「障害者権利条約(Conventionon the Rights of Persons with Disabilities)」はその象徴的な出来事だった。本条約には2014年1月20日に日本も批准し、条約と整合的な国内法制度の整備の一環として、2016年4月1日からは「障害者差別解消法」と「改正障害者雇用促進法」が施行された。  バリアフリー支援室は、こうした国内外の法制度、および東京大学憲章にのっとり、本学で学ぶ学生、本学で働く職員、本学で研究と教育にあたる教員からなる全構成員が、障害等を理由に不当な差別を受けることなく、その個性と能力を十全に発揮しうるよう、主に環境側の改善を通じた全構成員の完全参加を目指して、本郷キャンパスと駒場Iキャンパスに支所を置いて障害のある学生、教職員のバリアフリー支援のための活動を進めている。とくに、改正障害者雇用促進法に基づき、障害を持つ教職員の支援を担う専門部署をもつのは、国内でも東京大 学をはじめ、数校のみとされる。  バリアフリー支援室には、現場での支援の経験を積んだスタッフや、国内外の法制度および具体的支援に関する専門的知見を有する教員が常駐し、障害のある学生・教職員と部局の間に立って、当事者中心(user-centered)の視点に基づき、建設的対話と合理的配慮の実現をサポートしている。また、バリアフリー支援のためのサポートやコーディネート、学生サポートスタッフの養成などの役割も果たしている。加えて、規模の大きい建築物や制度のデザインなど、いったん出来上がると可変性に制約が生じる環境要素については、その立案の段階から、障害のある構成員の継続的な参加とフィードバックによる共同創造(co-production)のプロセスをファシリテートするために、構成員に対する積極的な情報提供、ヒアリング、環境モニタリングとフィードバックを行っている。それらの具体的な内容は、本報告の中でも触れる。 -----活動報告書3 さらにバリアフリー支援室では、施設、雇用、その他支援に特化した検討部会を設けている。2017年度以降は、それぞれの部会が重点的に検討すべき3つのビジョンを掲げて、取り組みを進めてきた。以下、それぞれのビジョンの内容と現時点での進捗状況及び本年度の課題について説明を行う。 1 施設に関しては、「初めからみんなで作る施設」をビジョンとして掲げた。 施設建設後にバリアフリー改修の追加をしたのでは、利用者の利便性が損なわれるのみならず、改修コストも高くなる。障害者の利用しやすさと大学側の負担軽減を両立するため、設計段階から障害のある人の意見や一般的なバリアフリーの観点を考慮することで、民主的なキャンパスデザインの確立を図るというのが、このビジョンの中身である。  2017年度は、例年通りバリアフリー化工事の予算要求のために、(1)障害のある構成員から寄せられる要望や、キャンパス環境の整備に関する情報を集めて検討し、施設部に要望を伝えた。それに加えて、ユーザー視点のバリアフリー工事を目指すための事項を記載し、(2)「学内バリアフリー施設ガイドライン」を作成するとともに、(3)設計時にチェックしてもらうためのリスト作成を始めた。  計画段階で「東京大学が考えるバリアフリーな建物」を理解し、その上での設計がなされるためには、施設に関する専門知識を有する施設改善検討部会員や施設関連職員の協力と、全学の整備計画を把握するキャンパス計画室会議の理解が必要となる。実効性のあるチェックリストの作成と運用を引き続き検討する。 2 雇用に関しては、「安心して試行錯誤できる職場」をビジョンとして掲げた。 かつての支援室での雇用に関する議論は、大学に義務付けられている障害者の法定雇用率を達成するための、いわば消極的な対応が中心であったが、法定雇用率がある程度安定的に達成されるようになってきた現在、SDGsの8.5にもある「障害者を含むすべての男性および女性の、完全かつ生産的な雇用およびディーセント・ワーク、ならびに同一労働同一賃金」の達成に向けた積極的な議論が求められつつある。  障害のある人が働くことには固有の困難がつきまとう。例えば自分と類似した身体条件を持った同僚や先輩が周囲にいないことから、健常者のように、見よう見まねで仕事の仕方を身につけることが困難である。他の同僚と同じく、初めは職務内容を習得していない障害者は、どのような配慮や環境調整があれば自分が働けるようになるのかの見通しを持たない。したがって、障害のない構成員と比べても、より長い試行錯誤の段階を経て、自分の特性に合ったオリジナルな勤務形態を編み出していく必要がある。  このように、障害者のディーセント・ワークを実現するためには、(1)試行錯誤の実験的領域の確保と、(2)オリジナルな勤務形態の承認の2つが必要になる。そのためには、(1)失敗を責めることなく共有し、よりよい職場について共に考える文化(JustCulture)の醸成と、(2)多様な働き方の選択肢の創出の2点が必要になる。2017年度は、(1)の文化を醸成するため、「東京大学における障害者雇用の手引き(網羅版)」作成を継続するとともに、チームコーディネーターの支援体制整備を継続した。また -----活動報告書4 (2)を議論するために、多様な働き方ワーキンググループを立ち上げ、2018年2月23日に第1回の会議を行った。  さらに、障害者は過剰適応して心身をすり減らしたり、経済的基盤の脆弱性に直面したりしやすいことを考慮に入れ、2017年度は人事部との協力の下、支援室教職員が障害者職業生活相談員を兼任し、B生活基盤や健康に配慮する支援を行った。これも、ディーセント・ワークの実現という面で重要な支援といえる。  本年度の課題は、上記の取り組みを継続するとともに、障害者権利条約第12条などに基づき、知的障害や精神障害など、「認知的な障害を持つ教職員の意思決定支援」や、「障害があってもできる仕事」だけでなく、ピアワーカーやユーザーリサーチャ―など、「障害があるからこそできる職域の開拓」を検討することである。特に意思決定支援の重要性に関連して、先述したヌスバウムは、自身が挙げたリストの中で特に重要なのが実践理性と連帯の2つであり、「他のすべての項目を組織し、覆うものであるために特別に重要であり、それによってひとは真に人間らしくなる」と主張している。なかでも実践理性は、「自己の価値観を形成するとともに、将来を考え、人生を設計し、その生き方を反省する能力」とされ、これがなければ、いくら配慮や選択肢が豊富になっても、自己選択が不可能になる。意思決定支援は、SDGsの最も重要な要素であるにもかかわらず、その確立が遅れている領域である。 3 支援全般に関しては、単なる調整やノウハウの提供にとどまらない「権利擁護(アドボカシー)の視点に立った支援」をビジョンとして掲げた。  残念ながら、今なお完全参加と平等の理念が達成されていない現状においては、障害のある構成員と周囲の人々との関係を対等なものとみなし、その間のコンフリクトを調整・調停するだけでは不平等が是正されない。障害構成員の権利擁護の視点に立って、機会の平等を実現するための支援を行う必要がある。雇用の部分で述べた意思決定支援も、権利擁護の重要な構成要素の一つになる。  権利擁護の視点に立った具体的な支援として、意思決定支援のほかにも、(1)修学中に発生する「生命」「身体的健康」「身体的保全」に関わる支援(介助、医療的ケアなど)に関して、自治体と大学のどちらが負担すべきかについては、現時点で国内的なコンセンサスが得られておらず、交渉を通じた連携が探られている現状である。  2017年度、支援促進部会や支援連絡会議で確認された方針は、介助費用を負担できるか否かが各大学の財政状況に依存することは好ましいことではなく、障害学生の機会の平等の観点から、生存権に関わる領域の保障はナショナル・ミニマムにすべきであるという、障害当事者の間でおおよそコンセンサスとなっている考えに基づいて、「修学の有無にかかわらず発生する生存権に関わる支援領域は、大学ではなく自治体が負担すべきであり、交渉によって自治体が負担しないと判断した場合にのみ、過渡的に大学が負担する。ただし、その後も交渉は続ける。」というものであり、その方針に基づいて自治体との交渉を行った。また、全国にも例をみない東京大学の先進的な支援として、障害のある教職員への支援者派遣を行っているが、(2)支援者派遣システムを試行的に運用開始した。また、(3)障害教員・研究者に対するパーソナルアシスタンス型支援については、障害のある教員の意見を踏まえつつルールを整備した。 -----活動報告書5  そのほか2017年度は、人権条約である障害者権利条約や、それと関連した国内法との整合性を図るため、法務課の協力を得つつ(4)バリアフリー支援室関連規則等の改正手続きを進めた。また、「生命」や「身体的保全」といった基本的人権の保障に関連して、(5)緊急災害時における障害のある学生・教職員の緊急災害時対応にも取り組んだ。また、施設のようなハード面だけでなく、学内で共用されるウェブシステムや書籍、その他情報・コミュニケーションといったソフト面への平等なアクセシビリティもまた、機会の平等の観点から重要である。これらを保障するために、附属図書館との連携のもと(6)資料電子化サービスの支援体制を構築するとともに、(7)ウェブシステムの発注段階からアクセシビリティを保障する体制を検討する情報アクセシビリティワーキンググループを立ち上げた。また、(8)学生サポートスタッフに関して、謝金単価を整備した。  機会の平等が争点となる領域の一つに受験がある。2017年度はこれまで各部局で個別に行われてきており、全学的には共有されていなかった(9)大学院入試における特別配慮事例の蓄積に関する体制整備もすすめた。  今年度の課題は、上記の取り組みを引き続き継続するとともに、国際的にも大学内で支援が遅れている領域として注目されている、「医薬理工系の実習や実験における基礎的基盤整備や合理的配慮の指針作り」を、国内外の現状を踏まえつつ検討したい。  以下ではより具体的に、2017年度のバリアフリー支援室の活動報告を行う。 更なる多様性実現に向けたバリアフリー支援室のビジョン2017-2018 1.はじめからみんなでつくる施設 ・アクセシビリティと負担軽減の両立 ・選択肢の広さの平等 ・キャンパスデザインの民主化 公平性の観点のみならず、負担を過度なものにしないためにも、設計段階からのユーザー参画を目指します。 共同創造 (co-production) 2.安心して試行錯誤できる職場 ・見よう見まねの困難さと実験的領域の確保 ・責める文化から分かち合う文化へ ・生活基盤と健康への配慮 意思決定支援を含む十分な合理的配慮に加え、生活や健康を考慮しながら、多様な働き方の実現を目指します。 フレキシキュリティ(flexicurity) 3.調整から権利擁護へ ・今なお不平等や差別が存在しているという認識 ・調整のみでは不平等や差別が温存しがち ・権利擁護としての支援へ 障害者権利条約の精神に基づき、ノウハウの提供、支援コーディネートにとどまらず、当事者の権利擁護を行います。 人権アプローチ(human rights based approach) -----end