---p35 III.(付録)資料 学内広報コラム「バリアフリー最前線!」より 第14回から第29回(令和元年6月号から令和3年12月号掲載) ---p36 左側:第14回 熊谷晋一郎室長が取材原稿で伝える障害研究の現場(1) 「排除のゲームから包摂のゲームへ」 経済学研究科 松井 彰彦(まつい あきひこ)教授の巻〔顔写真あり〕  人はなぜ、差別をしてしまうのだろうか。松井氏はこの問題に、ゲーム理論と呼ばれるアプローチで迫ってきた。  子ども時代は典型的な理系少年。引っ越しが多く、転校生として味わった疎外感が、今の研究に影響しているかもしれないと振り返る。日本がバブル景気に足を踏み入れつつある頃、理科I類に入学。気象学や生態学に興味があった松井氏は公害問題に関心を寄せていく。学友と議論する中で、「自然環境を考えるには、人間社会を読み解く学問が必要だ。」と思い、理数系の知識を活かせる社会科学を学ぼうと経済学部へ進学。  当時、経済学において市場理論は完成に近づき、研究の余地はほぼ残っていなかった。代わりに、市場に限らない様々な人間関係を論理的に研究する「ゲーム理論」という新領域が注目され、松井氏もこれを専門に、と決意する。ゲーム理論では、人間関係を一種のゲームとみなし、じゃんけんのような単純なゲームのモデル化から始めて、市場理論が十分に記述できなかった様々な人間関係の記述に成功してきた。  とりわけ松井氏は、帰納的ゲーム理論の提唱者として知られている。例えば差別。私たちは、まず心の中に偏見があって、その結果、差別的行動が引き起こされると考えがちである。しかしこの理論によれば、まず人が、差別的行動を是とする社会に理由もわからず巻き込まれ、事後的な正当化によって偏見が胚胎することもあるという。このことは、内心の自由を担保しながら、行動レベルで差別を禁止する法の有効性に理論的根拠を与えるものでもある。  理論は現場との相互作用によって洗練される。松井氏は、2001年に東大に着任した視聴覚の障害をもつ福島智氏との出会いを機に、障害分野に経済学を応用する研究領域を立ち上げた。並行して、東大のバリアフリー化でも障害者雇用を中心に体制整備を行ってきた。差別だけではない。そもそもある人が障害者になるかどうか自体、社会がどんなゲームを展開しているかに依存する。例えば手話が公用語の地域では、耳が聞こえなくても障害にならないだろう。障害の問題は、こうしてインクルーシブなゲームの問題に帰着する。  ゲームを読み解き、人々の選択をバリアフリーへと水路づけるゲームを設計する―大学ならではの学知に基礎づけられたバリアフリー支援実践がここにある。 右側:第15回 熊谷晋一郎室長が取材原稿で伝える障害研究の現場(2) 「症状の消失から人生の回復へ」 医学系研究科 笠井 清登(かさい きよと)教授の巻〔顔写真あり〕  左右を間違えずに靴を履くこと、不安をやりすごすこと、思考を言葉にすること―周りの人々が当たり前にできることが自分にはできない。今から振り返ると生き辛さを抱えた少年時代だった。一方で、障害のある同級生のサポート係になるなど、排除されがちな仲間に自然と寄り添う面もあった。その後、私立の中学校に進学。似た仲間のコミュニティに身を置き、徐々に生きづらさが軽減していく。その頃、精神科医フランクルの著作などにも影響を受けつつ自身の来し方を振り返り、精神科医を志すようになり理科三類に入学した。  当時の東大精神科は外来派と病棟派の抗争が続いていたが、今さら志を変えるわけにもいかず、精神科に入局。外部病院での研修中も地域の作業所に挨拶周りに行くなど、地域に出向いていく臨床スタンスは赤レンガから学んだものでもあった。同時に、医学部でも周縁化されがちだった精神医学には生物学的研究が必要と考え、寸暇を惜しんで研究に没頭した。  やがて、生物学的研究を身につけた自分と、当事者性を見え隠れさせながら理解者ぶる自分とを、器用に使い分けることに葛藤を感じ始める。そうした頃、東日本大震災が起きる。居ても立っても居られず、頻繁に現地に赴き、教室員総出でこころのケア活動を担った。それを機に、医療のアウトカムは症状の消失だけではなく、地域文化に根差した人生の回復であること、その過程で精神医学が果たすべき役割を再認識。リカバリー・アプローチ、大学精神科へのピアサポートワーカーの導入など精神保健領域における先端的実践にも注力してきた。  少年時代の笠井氏がまさにそうであったように、集合的に再生産される無意識的価値観の中で、少数派は常に戦いを強いられる現状がある。しかし笠井氏は、むしろ多数派にこそ自分の無意識が行動に与える影響を意識化させ、多様な価値観や多数派-少数派間の権力勾配を自覚できる力を滋養するのが東京大学の役割だと述べる。個人史を原点に置き、現場から離れず、確かな専門知を通じて公正な社会を実現する―無意識の中にあるバリアに精神医学をもって挑む笠井氏の実践は、東京大学のバリアフリーが向かうべき未来を指し示している。 ---p37 左側:第16回 熊谷晋一郎室長が取材原稿で伝える障害研究の現場(3) 「インクルーシブなキャンパスを実現する建築学」 工学系研究科 松田 雄二(まつだ ゆうじ)准教授の巻〔顔写真あり〕  大学という場は、少しずつ多様性を増してきている。それとともにキャンパスの姿も変化してきた。松田氏の専門は、多様な人々が、自分たちが使う公共財のデザイン過程に参画する「ユニバーサルデザイン」という考え方で、いわばデザイン自体の民主化を意味する。インクルーシブなキャンパスを実現するために不可欠な考え方だ。  筆者と同じ95年に東京大学に入学した松田氏は、キャンパスの25年間の変化を感慨深く振り返る。学生当時、音楽サークルに所属していた松田氏は、駒場の学生会館にたむろする車いすに乗った学生―そう、筆者だ―を見かけていたという。その後、建築学専攻修士課程のころ、視覚障害の学生が東大工学部へ進学したことが現在の専門につながった。本郷キャンパスで視覚障害者誘導用ブロック計画を作成し、本人からの評判は上々であった。他方で、駒場キャンパスの改善までは、手がつけられなかったと振り返る。また同じ研究室には、耳の聞こえない学生が在籍していた。当時は聴覚障害のある人への制度化された支援も皆無だったため、ゼミでの発言を黒板に書きだすなど、試行錯誤の支援を手弁当で行っていたという。いくつかの大学を経て、2015年に東大に戻ったときには、支援体制の充実ぶりに驚いたという。  松田氏によれば、建築設計という仕事は、建物が備えるべき様々な機能をひとつの「形」に纏め上げるものだ。2000年以降の様々な障害関連の法制度の整備を背景に、障害のある学生や教職員が徐々に増えるにつれ、大学が備えるべき機能も変化し、そこかしこに自動ドア、車椅子でも使えるトイレ、エレベーターなどが設置されてきている。ただ、多様性は障害領域だけではない。宗教、LGBTなどの多様性を包摂するキャンパスデザインはこれからの課題だという。  ユニバーサルデザインを実現するためには、テーブルに挙がった多様なニーズを纏め上げるだけでなく、そもそも多様なユーザーが最初からテーブルにアクセスできなくてはならない。事後的な改修では満足度が低いだけでなく、費用も高くつく。「はじめからみんなでつくるキャンパス」を実現する上で、松田氏の研究と実践は方法論的な基盤を示唆している。 右側:第17回 熊谷晋一郎室長が取材原稿で伝える障害研究の現場(4) 「支援室の羅針盤―理念、専門知、実践知」 バリアフリー支援室 垣内 千尋(かきうち ちひろ)准教授、中津 真美(なかつ まみ)特任助教〔顔写真あり〕    東京大学にバリアフリー支援室が発足し15年になる。以前の障害者支援は各部局が行っており、支援ノウハウが散逸してしまうという問題があったため、学内全体でノウハウの蓄積と提供を行うべく、支援室が設置された。そして、こうしたノウハウの蓄積や更新を担うのが、支援室の専任教員である垣内氏と中津氏である。  中津氏は、設立時から長く支援室を支えてきた。専門は聴覚障害支援学で、支援室では、文字通訳等の情報保障を中心に、身体障害領域をカバーする。CODA(聴覚障害者の子どもを意味するChildren of Deaf Adultsの略語)としての自身の生い立ちを振り返り、ごく普通の家族だと思っていたのに、周囲から注がれた「がんばってるね」という特別な視線への違和感が、障害者への理解を広めたいという思いにつながったと述べる。「知らないことは分断を生む」という信念のもと、支援実践に加え中津氏はCODAの心理・社会的研究にも取り組んでおり、少しずつだが社会の変化に手ごたえを感じてきているという。  垣内氏は、基礎と臨床の両方に造詣の深い精神科医として、本学でもニーズが増し続けている精神疾患や発達障害の支援を主に担う。支援室は「障害は本人と環境のミスマッチである」という社会モデルの視点に立ち、主に環境側の改変による障害の軽減を目指すが、精神疾患の場合は病状改善の可能性の評価が容易でなく、医学的介入と環境改変のバランスの取り方は時に難しい。さらに、人生のある時期で精神疾患を経験した本人は、新しい自己像、進路や価値観を再構築する課題にも直面する。本人の意思を実現するという基本を踏まえつつ、複数の意思や欲動の葛藤状況そのものに寄り添う支援の重要性を垣内氏は強調する。  両氏は、機会の平等という理念を強調する。その一方で現実には経済面・人材面などの制約があり、要望のすべてが実現するとは限らない。そのような中、実践面で重視するのが配慮決定プロセスの明確化だ。何ができ何ができないのか、できないのはなぜなのか、代替案はあるのかなど、丁寧な対話を重ねる。日々突きつけられる難題を前に支援室が航路を見失わないために、理念、専門知、実践知を担う2人の専任教員の存在は大きい。 ---p38 左側:第18回 熊谷晋一郎室長が取材原稿で伝える障害研究の現場(5) 「ダイバーシティを実現する社会モデルの考え方」 教育学研究科 星加 良司(ほしか りょうじ)准教授の巻〔顔写真あり〕  幼少期から視覚に障害のある星加氏は、高校まで統合教育を受けてきたが、教育委員会から毎年「来年度は盲学校へ」と説得されるなど差別的な扱いも経験してきた。やがてそうした社会の成り立ちに興味を持ち始めたが、高校までは社会は法と金で動いているのだろうと想像していたという。大学入学後、直接的な人間関係を深く取り持つ中で、法と金以外の機微で社会が動いている側面に気づかされる。卒論で社会学の面白さに気づき大学院への進学を決めたが、当時は、障害者として扱われてきたことへの反発もあり、障害を研究対象にするつもりはなかった。  だが深く学ぶにつれ社会学における障害問題の重要性に気づいていった。星加氏によれば社会学は、フランス革命以降、封建制や宗教が力を失い、新たな秩序を模索する中で生まれた学問だ。近代的秩序の原理として、能力を基準に財と機会を配分する能力主義が重視され、裏面で、能力の低さとして規定される障害問題が生み出された。星加氏には、障害問題を通して社会全体が見えてくるという直観があった。  星加氏が専門とする障害学には「社会モデル」という考え方がある。個人の特質には差があるが、すべての差異が等価値に扱われるわけではない。有利に扱われる特質を持ち、差異の扱い方自体を決められるマジョリティと、不利に扱われる特質を割り当てられるマイノリティとの間に非対称性が生まれる。社会モデルとは、マジョリティ-マイノリティ関係として障害問題を捉える視角である。現在、社会モデルを人々に定着させる教育プログラムを開発している星加氏は、社会モデルにはマジョリティの特権を掘り崩す面があるため、マジョリティ側の反発を抑えつつ本質を伝えるための工夫がポイントだと言う。  星加氏も強調するように、障害学など人類史的課題に取り組む研究は、短期的効果が見えにくい。しかし、分断に抗して発展する社会を実現するためには、細分化された課題への短期的成果の集積とは異なる、こうした研究が評価されるシステムが必要だ。星加氏の社会モデルの理論・実装研究は障害のみならず広くダイバーシティとインクルージョンを実現する上で欠かせない基盤を与えると言える。 右側:第19回 熊谷晋一郎室長が取材原稿で伝える障害研究の現場(6) 「気後れしないインクルーシブな共創空間の条件」 医学系研究科 宮本 有紀(みやもと ゆき)准教授の巻〔顔写真あり〕  子ども時代は運動が苦手で泣き虫。快活な同級生たちに気後れしがちな自分は、生き馬の目を抜くような大人社会で生きていけるのだろうかと、子ども心に不安だった。理科2類に入学後、人の心や脳に関心があり医学部保健学科(現・健康総合科学科)に進学。看護経験をもつ学士編入生に魅力を感じ、看護コースを選択した。  看護実習では落ちこぼれ学生で、辛くて病棟実習に行けなくなることもあった。しかし4年の冬、看護管理実習で東大精神科病棟に行き、ロールモデルとなる師長と出会う。規範からの逸脱を厳しく評価するのではなく、何でもどんと来いという佇まいのその人は、悩みを抱え込まず、同僚にも自分の気持ちをオープンに話していた。「こういう場所なら、自分も働けるかもしれない」と思えた。  卒業後、修士課程で認知症の記憶に関する研究をし、語りを聞くことの面白さに気づく。精神科病棟での臨床を経て、精神看護学の博士課程に進学。調査先の東京武蔵野病院に魅力を感じ、博士課程終了後に看護師として就職、急性期病棟に配属された。最前線の医療者から多くを学ぶと同時に、望ましくない身体拘束や隔離さえ、いつの間にか当たり前の習慣になっている自分に戸惑いを覚えた。  その後、教員として東大に戻り、精神障害者自らが、仲間や支援者とともに、自分が望む生き方が何なのか、どうすれば実現できるのかについて取り組むセルフマネジメントを研究し始める。世界の先進的な取り組みに学び、当事者と専門家が知識や技術を一緒に作る「共同創造」の重要性に気づく。  専門家を前に当事者は、「知識も技術もない劣った自分はこの場にいてはいけない」と委縮しがちだ。それは、宮本氏自身が幼いころから味わってきた感情とも重なる。共同創造が単なるお題目にならないためには、専門家も自分の限界を開示し、参加者皆が「この場に居ていい」と感じられる空間を作るべく努力が必要だ。  所在ない講義や実習、発言しにくいと感じる会議は、大学の中にありふれている。多様な構成員が、誰ひとり置き去りにされず、自由闊達に意見を交わすことで新しい知識と技術を生み出すキャンパスを実現するためのヒントが、宮本氏の研究にはある。 ---p39 左側:第20回 熊谷晋一郎室長が取材原稿で伝える障害研究の現場(7) 「世界にそそぐ視線を揃える:質的心理学から見えるバリアフリー支援」 教育学研究科 能智 正博(のうち まさひろ)教授の巻〔顔写真あり〕  中学までは田舎で不自由なく過ごすも、高校ではその地方の進学校に入り、自信のなさや活舌の悪さも影響してか、人間関係に“居心地の悪さ”を感じていた。当時の能智氏はその理由を広く言葉の問題に見出し、本学入学後は文学部心理学科で言語心理学を学ぶ。卒業論文では、言い間違いをテーマに実験的な研究を行ったが、自身がこれまで抱えてきた問題意識に答えられていない感覚が残り、大学院へ進学する。  修士課程で、言いたい言葉が出てこない「喚語困難」という失語症の症状が、前後の文脈に影響されることを明らかにした。しかしその困難がその人にとってどのような意味を持つかに迫れていないと感じ、博士課程で様々な研究方法を模索する中で、重度障害のあるわが子に対して「人間性」を感じるようになるまでの親の心理的プロセスを、質的研究の手法で明らかにしたD・ビクレン教授の論文に出会う。心理学研究室の先輩の後押しもあり、ビクレン氏の研究室に留学。頭部外傷の後遺症を持つ人々の自己像の変遷をテーマに質的研究を行い、帰国後は、専門誌の発行や学会の設立等を通じて、質的心理学を国内に紹介してきた。  氏によれば質的心理学は、人の行動を外から予測しコントロールするために数量化・モデル化する従来の行動科学とは異なり、その手前にある概念化・言語化の過程に内在的に寄り添おうとする。例えば、‟暴力的な行動”をカウントする量的研究は、“暴力”という概念の定義を所与とすることが多いが、質的研究は、その概念がいかに心や社会の中で成り立っているかを検討する。  失語症など脳損傷症状をもつ人を対象に研究してきた能智氏は、自分の研究は単に「彼ら」の特殊な経験を描き出そうとしているだけではなく、失語症者と自分がともに生きている「共通の世界」を理解することが目標だという。その過程で、相手の話が自分の話にふとつながる瞬間があり、それが彼らのために何ができるのか、という問いを導くのだと強調する。優れた支援は、対象者を自分と切り離して扱うのではなく、世界に注ぐ目線を揃えた先に実現する―能智氏の研究は、制度化される中で失われがちな、重要な支援者の姿勢を指し示している。 右側:第21回 熊谷晋一郎室長が取材原稿で伝える障害研究の現場(8) 「応答、多様性、越境:バリアフリーなアカデミアに向けて」 先端科学技術研究センター 西成 活裕(にしなり かつひろ)教授の巻〔顔写真あり〕  都市の人々は、隣人を人間扱いしているだろうか。東京生まれ、幼いころから他人を石ころのように扱う都会の人混みが苦手な西成氏は、渋谷駅の雑踏で倒れ病院で検査を受けたことさえあった。また、数学に没頭する少年時代、必ずしも裕福ではなかった両親は内職をしながら応援したが、ある時「東大まで行って数学をして、何の役に立つの?」と聞かれ自問した。これだけ与えられる中で、好きなことだけやっていいのか―でも、数学がやりたい。  応用数学を志し理科I類に入学。流体力学を専攻するも「何の役に立つの?」という声は疼き続けた。そんな時「苦手だった人混みを、流体現象としてとらえられないか」という着想に至る。しかしそれは新領域を立ち上げることであり大きなリスクを伴った。悩んだ末に、尊敬する先輩の「人生は諦めるかやり抜くかの2つしかない、7年はやれ」という言葉に背中を押され、20代後半で大きく研究テーマの舵を切る。縦割りのアカデミアで分野横断的な研究は支援を得にくく、4年ほど持ち出しの状況は続いたが、徐々に注目されるようになった。  流体には流量=密度×速度という関係があり、横軸に密度、縦軸に流量を取ると、増加から減少に転じる臨界点が観察できる。氏は世界ではじめて臨界点を超えた状態として様々な渋滞を定義し、人や車だけでなく、物流やバブル崩壊、セルロース分解過程に至るまで、数多くの現象を解き明かしてきたが、最初の応用例は巧妙に渋滞を回避するアリの研究だった。のちにある養蜂家にアリが渋滞しない理由を尋ねたところ「彼らは同じ個体から生まれた家族だからだよ」と教えられた。アリが実現している個と全体、利己と利他のバランスを人間社会に実装することが渋滞学の最終目標だ。それは、個として数学を愛しながら、同時に「何の役に立つの?」という声に応答し続けてきた氏ならではの到達点かもしれない。  社会課題に多分野が共同して応答するのではなく、個別領域に閉じて業績を積み上げるアカデミアに対しても、変革が必要だと強調する。それはまさに、氏が苦労しつつ歩んできた道でもある。社会への応答、多様性、越境―バリアのない力強い知の実践がここにある。 ---p40 左側:第22回 熊谷晋一郎室長が取材原稿で伝える障害研究の現場(9) 「生き延びるためのダイバーシティ」 相談支援研究開発センター 渡邉 慶一郎(わたなべ けいいちろう)准教授の巻〔顔写真あり〕  高校生のころ、母は、48歳で自らの命を絶った。学校から帰宅すると警察官と救急車が来ており、父は心臓マッサージをしていた。「また、あの家か」と言わんばかりの横柄な態度の警察官。父は氏に、冷たくなった母の足をマッサージするように言った。「でも、母はこのまま亡くなった方が良いのではないか」―そう感じたことが今も、氏の心に棘として刺さっている。  小学高学年の頃から母の精神症状が出始め、徐々に近隣や父との関係も険悪になる。同級生の家に遊びに行き、「これが普通の母親なのか」と驚くこともあった。中学生の頃、母に近づきたいという気持ちと、自分の苦悩に気付いてほしいという気持ちから、母が通う精神科を受診したが、「何を困ってるの?」と聞かれ、門前払いされたように感じた。  あの時、母の病気について詳しく教えてくれる人がいたら、もっと愛情を持って母に接することができたかもしれない。母のように、家族の中で一人死んでいくことがないように―精神科医になることを決めた氏を突き動かす祈りは今も変わらない。  入局後、当時の東大精神科が発達障害児療育に力を入れていたこともあり、子どもの診療に興味をもつ。同時に、のびのびと楽しく自閉症児と暮らす家族を見るにつれ、過度な社会適応を目指す療育に疑問を持ち始めた。氏は現在に至るまで一貫して、少数派を社会適応させる前に、多数派や支援者自身が、自分はどうなのかと反省することが重要であると主張してきた。  現在氏は、本学保健センターで精神科診療をしている。学生が訴える「眠れない」「気分が晴れない」などの症状の多くは、キャンパスの競争文化に関係しており、試験前に受診者は増える。学業で抜きん出るしかないという東大の評価系に乗れず、居場所を失い追い詰められる学生もいる。SNSに溢れる情報で他者と自分を比較し、焦る学生も少なくない。多様性を謳う東大は、もっと多様な評価系を提示し、学生たちに色々な道があることを伝えるべき、という氏の指摘は重い。  自殺を回避するには希望が必要―現在の氏がたどり着いた答えだ。道を外れたかに見えても、大丈夫。人生に多様な航路を与える価値のダイバーシティは、学生の命を救う。 右側:第23回 熊谷晋一郎室長が取材原稿で伝える障害研究の現場(10) 「スピードを速めたキャンパスが置き去りにするもの」 相談支援研究開発センター 川瀬 英理(かわせ えり)助教の巻〔顔写真あり〕  小さい頃から忘れ物が多く、よく怒られていた。そんな川瀬氏を母親は「私の子だから」とおおらかに育てた。一方で、小学生の頃から人と話をすることが大好きで、保健室で消毒してあげるなど人の世話を焼くことも好きだった。  人に接する仕事をしたいと10年ほど看護師として勤務、その後「患者さんとより深い関わりを持ちたい」と臨床心理学の大学院に入った。卒業後は心理士として各地で勤務。10年前に、発達障害傾向のある学生を支援するコミュニケーションサポートルーム(CSR)が本学に立ち上げられた際、自身の発達障害傾向を自覚していた氏は興味を持ち、そこで心理士として勤務してきた。  CSRでは、発達障害をカテゴリーではなくスペクトラムで捉えている。つまり診断の有無にこだわらず、大学に入ると周囲からの要求水準が高まるコミュニケーションやスケジュール管理などの領域で苦労を抱える学生の相談にのり、ToDoリストを一緒に作ったり、心理検査をしたり、保健センターへの紹介や教員への配慮要請をしたりする。面接試験の相談など、就職活動まで伴走することもある。オンライン授業と事前資料配布が主流となり、社交不安症や板書に苦手さをもつ学生にとって授業は楽になる一方、プレッシャーが少なくて集中しにくくなるADHD傾向の学生もいるという。  発達障害という概念が人口に膾炙するようになり、一番多い主訴は具体的な苦労ではなく、「自分が発達障害か調べてほしい」というものになった。その背景には、「学生に何を期待するか」という要求水準の変化があるだろう。氏は、保健センターの知能検査に関する調査を参照しつつ、タスクをこなすスピードの速さがかつて以上に求められるようになったことが一因ではないかとみる。特に教育経験豊富な教員に比べ、若くて優秀だが教育経験は少ない教員の場合、悪気はなくとも学生の気持ちを想像しにくいこともある。教員同士のスーパービジョン体制は重要だ。  素早く業績を出せる学生だけではなく、時間はかかるが粘り強く自分のペースで学ぶ学生が認められる環境が必要――そう語る川瀬氏の実践から、発達障害への注目が高まる現代が何を失ってしまったのかについて学ぶべき点は多い。 ---p41 左側:第24回 熊谷晋一郎室長が取材原稿で伝える障害研究の現場(11) 「周縁から“普通”を問う」 総合文化研究科 清水 晶子(しみず あきこ)教授の巻  シェイクスピア作品を紹介するテレビ番組に魅了された子ども時代の清水氏は、やがて文庫でもシェイクスピアを読むようになる。また中高一貫の女子校時代に食べ吐きを経験したことで、欲望や身体のままならなさを知ったという。東大に入学すると、キャンパスのあちこちで「東大女子は見た目が悪い」等の会話が繰り広げられていた。氏は、こうした日常的な違和感からフェミニズムに関心をもつようになった。  シェイクスピア研究をしようと文学部英文科に進学。少年俳優のみの時代にどうジェンダーが演じられたか、同性愛や異性装のキャラクターが観客にどう受容されたかなど、英語圏で盛んにフェミニズム批評やクィア批評が行われはじめた時期だった。英国留学を経て、シェイクスピア研究からフェミニズム理論・クィア理論へと研究の軸足を移す。  女らしく振舞え、異性を欲望せよ、生下時に割り当てられた性別を受容せよ―身体の感じ方や使い方、性や欲望の在り方について、私たちは様々な規範に縛られている。フェミニズム理論・クィア理論は、規範から排除される人々を対象化せず、周縁化された当事者の立場から“普通”を逆照射するアプローチである。  氏が危惧するのは、中絶・避妊の権利、同性婚などLGBTの権利、ジェンダー教育・研究などに反対する、Anti-Gender Movement(以下、AGM)である。北京女性会議に反発したカトリックにルーツを持ち、経済格差に苦しむ多数派の不満を燃料に、宗教右派や右派ポピュリズムを巻き込み大きな潮流となったAGMでは、性・ジェンダー・家族などのトピックが立場を超えた接着剤として機能し、女性や少数派の権利を擁護するグローバルエリートが自分たちの慎ましい家族観を脅かしていると批判する。  AGM同様、自らの価値観や慣行を不問に付し、そこと整合的な効果を示さなければダイバーシティやインクルージョン(以下、D&I)を主張しにくい雰囲気は大学にも存在する。しかし氏は「多数派が居心地のよさを手離すことなしに、D&Iは実現しない」と述べる。エリートと少数派を標的とするAGMが吹き荒れる中、大学は率先して自らの“普通”を問い直す必要がある。 右側:第25回 「オンラインで情報を保障すること 視覚障害学生・聴覚障害学生への支援」 バリアフリー支援室特任助教 中津 真美(なかつ まみ)  昨年度からオンライン授業が始まり、「視覚障害や聴覚障害の学生にも、遠隔で情報を伝える」という新たな支援が開始されました。ただでさえ情報弱者といわれる学生たちへの支援です。様々なICT技術を駆使しますが、限界を感じることもあります。ですが、配付資料の工夫や事前共有、話し方の工夫などがあるだけで、授業の理解度が格段に上がると学生たちは言います。  例えば教員が、配付資料の図表を文章にもすることで、視覚障害学生は音声読み上げソフトを使用して図表の内容を耳で聞くことができます。対面授業のように、誰かが隣で図表の内容を説明する支援はできませんが、図表の文字情報などを事前に学生に共有しておくことで、学生は安心してオンライン授業を受講できるようです。さらに、授業中も、指示語は具体的な説明に置き換え、明瞭な話し方がなされることにより、学生サポートスタッフも活動がしやすくなったと言います。聴覚障害学生への遠隔PCテイクを担う学生サポートスタッフからは、「適度な速度や一定の間がある話し方の授業は、余裕を持って入力できた。」「授業の情報を概ね損失なく聴覚障害学生へ伝えられた。」とのコメントが寄せられました。  先生方のコメントも心に残ります。「私どもとしては、支援をしている意識はなく、当然のこととして『丁寧にできる説明は、できるだけ丁寧に』という原則を貫いているだけです。」  オンライン授業では、周囲の少しの配慮があれば、より障害のある学生の機会の平等に繋がることが分かってきました。「障害」とは、多数派と少数派の間のミスマッチにより発生するものとすれば、少数派だけが頑張るような文化は、もう終わりを迎えるのかもしれません。 〔図(グラフ)の文字(テキスト)化の例を示す図あり。図の説明〕 「高等教育機関における障害学生数と内訳」のグラフを文字化したものが示されている。 〔図終わり〕 ---p42 左側:第26回 「発達障害・精神障害のある方の支援」 バリアフリー支援室准教授 切原 賢治(きりはら けんじ)  大学などの高等教育機関における障害学生数は年々増加していますが、なかでも近年顕著に増加しているのが発達障害と精神障害です。東京大学も例外ではなく、バリアフリー支援室で支援している学生には発達障害や精神障害のある方が多くいます。もっとも、精神疾患の患者数は400万人を超えており、30人に1人は精神疾患を有していること、発達障害は生来的な特性でもあること、他の精神疾患も若くして発症することが多いことから、支援が届いていない発達障害や精神障害のある学生もまだ多くいるのではないかと思います。  発達障害や精神障害のある方にとって、支援を求めることは簡単なことではありません。疾患にもよるのですが、自身の病状に気づくことに困難があったり、気づいてもコミュニケーションが苦手でうまく支援を求められなかったりすることが多いです。また、精神症状の多くは主観的な体験であり、周囲の人にとっては理解しづらく、誤解や偏見を生みやすいです。そのため周囲に精神疾患を知られることに不安があったり、自分自身で精神疾患を受け入れることに困難を感じたりすることも多いです。こうした方々に支援を届けるには困難に気づく周囲の目が必要になります。昨今はコロナ禍でオンライン授業が一般的になりました。発達障害や精神障害のある学生にとってオンライン授業は負担が少なく参加しやすいという方もいる一方で、オンライン授業では参加に困難を感じる学生もいます。後者の中には困っているのに支援を求められない方もいると思われますが、周囲の目が届きにくい状況であるため心配な点です。  うまく支援につながることができたら、授業や試験に際して合理的配慮を調整します。合理的配慮であるためには教育の本質を変更しないことが求められます。しかし、発達障害や精神障害では認知やコミュニケーションなどの能力に制限があることが多く、支援が教育の本質を変更するか否かの判断は難しいことが多いです。こうした判断はバリアフリー支援室だけでは困難であり、教員の先生方のご協力が欠かせません。  以上示してきましたように、発達障害や精神障害のある学生は増加しており、支援の必要性は増しているのですが、具体的な支援についてはまだ発展途上にあります。学生に関わる多くの教職員の方々の協力を得ながら、発達障害や精神障害のある学生にとってもバリアフリーな東京大学の実現に向かっていきたいと考えています。 右側:第27回 「ボーダーレスな支援ツール」 バリアフリー支援室教務補佐員 山本 篤(やまもと あつし)  支援機器と聞くと、パラアスリートが使うような特注品をイメージされるかもしれませんが、一般に使われているものの中にも、障害のある人を支援するツールとして有用なものがあります。代表例は、iPhoneやiPadなどのスマートフォンやタブレットです。ピンチイン・アウト操作による拡大縮小表示・拡大鏡(デバイスのカメラを使用)・音声読み上げ(VoiceOver等)といった機能が標準で備わっています。  これらには、音声を認識して文字表示する音声認識アプリ(UDトーク等)や、手書きを遠隔共有するアプリ(MetaMoji Share等)、様々な色覚特性を持つ人の見え方を体験するアプリ(色のシミュレータ)など支援に活用できるアプリが多数あります。例えばスマホを使って、メールを音声読み上げ機能で読み上げる、写真や図等を指で拡大縮小、カメラを拡大鏡として使う、マスクで表情や口形が読み取りにくい場面で音声認識をさせるなどができます。そのため、障害のある人にとっては気軽に使える支援機器として、生活に欠かせない「インフラ」になってきています。スマホの音声読み上げアプリを駆使して、UTASの情報閲覧やITC-LMSでの履修手続きを行っている視覚障害学生もいます。聴覚障害のある私もスマホを肌身離さず携帯しており、職場やオンライン会議の発言を音声認識させています。  これらの機能は障害のある人だけではなく、障害のない人にとっても「使える」ものです。例えば、ICレコーダーの代わりに音声認識アプリを使って口述筆記や会議の議事録作成を行ったり、外国人との会話を翻訳させたりと、支援に限らず自由な使い方があります。  また、WordやPowerPoint等のOffice系ソフトやGoogleドキュメント等も、近年は音声入力や音声認識(字幕表示)といったアクセシビリティ機能が追加されてきています。簡単に試すことも可能なので、当室でも支援室紹介動画等を作る際には、PowerPointの字幕機能を活用しています。  このように、障害のある人にとって有用な技術や支援ツールは特別なものではなく、当たり前のものになり、障害者支援の垣根が低くなってきたと感じます。支援と聞いて決して身構える必要はありません。身近なものをぜひ活用してみてください。 〔写真:左側にスマートフォンに表示された音声認識画面、右側にタブレットに表示された色のシミュレータ画面〕 ---p43 左側:第28回 「障害を普遍化したCOVID-19」 バリアフリー支援室長 熊谷 晋一郎(くまがや しんいちろう)  障害とはいったい何だろうか。一般には、平均とは異なる機能や形を持った身体の<中>に存在する特徴だと考えられているかもしれない。しかし「障害の社会モデル」の考え方が打ち出されて以降、障害は身体の<外>に発生する現象だと捉えられるようになった。これは、身体的な多数派にカスタマイズされた社会環境(建物・道具・制度・慣習・言語・価値観など)と、少数派の身体を持っている個人との間に生じるミスマッチを障害だと捉える考え方である。今日、この障害の社会モデルは、障害者権利条約や障害に関する国内法の標準的な考え方になっている。  この考え方によれば、身体が多数派であっても、環境が変われば障害が発生することもある。Ebuenyiらは、COVID-19による社会環境の急激な変化は、障害という現象の普遍化を引き起こしていると述べている。例えば、孤立し、地域とのつながりがないことは、施設に隔離された障害のある人々の経験と重なる。またCOVID-19に関する信頼できる情報にアクセスすることが容易ではないことは、視覚障害や聴覚障害のある人々が、情報保障が十分に提供されていない経験を想像させるものである。加えて、COVID-19に関連性が強いと誤解されることで、国籍や年齢、職業などを理由とする不当な差別をされる可能性が高まっているが、これも障害者差別と地続きなものであり、特に、医療サービスを受ける人に優先順位がつけられ、健康状態に基づいて個人に「価値」が付けられ、優先順位の低い患者はサービスが延期されたり、中断されたりする可能性が高まっている。さらに、障害のある人だけでなく、教育、労働からの排除は普遍化しつつある。このように、障害が普遍化する中、以前は障害者向けのソリューションとされてきたものが、今や汎用され始めてもいる。  しかし、障害の増大は均等に起きているのではなく、子どもや狭義の障害者、差別にさらされてきたグループや社会経済的状況の低いグループは、そうでない人々よりも、より一層深刻な状況に陥り、格差が拡大している。筆者もまた、安全性を確保しながら介助者を確保することに困難が生じ、一部の介助者に過度な負担をかけてしまっている現状がある。また、先日急性胆嚢炎で入院した際にも、入院中の介助者の付き添いが認められず苦労をした。  漸弱性の高いグループがどこにいるのかをモニターし続け、有限な資源をそこに投じていくことは、このパンデミックを収束に向かわせるうえで不可欠な分配原理といえよう。 右側:第29回 「障害のある教職員との意見交換会」 バリアフリー支援室長 熊谷 晋一郎(くまがや しんいちろう)  支援者との一対一の面談では、なかなか自分のニーズに気づき、それを表明することが難しいものだ。不便さに慣れてしまいニーズが潜在化することを「適応的選好」と呼ぶこともあるが、そこから抜け出すには、置かれた状況を互いに共有し、生き延び方を探求しあえるような仲間が必要だといえる。自分と同じ障害や、異なる障害のある他者の意見を聞くことではじめて、「そういえば、自分もそこに困っていた」と気付けることは少なくない。また、当事者の声を、役員や管理職に直接届ける機会もまれである。そうした対話の場として、バリアフリー支援室では毎年1回、障害のある教職員との意見交換会を開催してきた。  今年の意見交換会は、11月4日に開催された。障害のある構成員といっても多様であり、状況もニーズも異なる。毎年、どのようなグループ編成にすべきか、参加者の意見を反映させながら試行錯誤を続けているが、今年は、障害の種別ごとのグループで行った。  コロナ禍におけるコミュニケーションの希薄化や、勤務状況の把握困難、リモートワーク体制の整備など、昨年も聞かれた課題は今も続いている。しかしこの一年間、シフトの工夫やSNSの活用などによって、徐々にではあるが改善しつつある。  また、障害のある職員への支援や、中途で障害を負った構成員の支援については、これから取り組むべき大きな課題として今年も再認識されたが、UTokyo Compassに明示的にこれらの課題が書き込まれたこともあり、インクルーシブなキャンパスの実現に向けて障害のある教職員の視点と知恵が発揮される職域開拓の重要性が確認できたことは大きかった。  今年もまた、多くの宿題をもらった意見交換会だった。この声を羅針盤にして、バリアフリーへの取り組みを進めていきたい。 〔写真:対面とオンラインを組み合わせたハイブリッド形式で行われた今年の意見交換会の様子〕 ---end